廃墟訪問:ブルガリア・カザンラク ~旧共産党ホール Buzludzhaを訪ねて~
御去年のことになりますが、ブルガリアに行きました。9連休取って。
2015年に行ったポーランドの流れを汲んで「東欧」をもう一度感じたかったというのと、
年齢ごとになにか記念碑的なものを建てたかった、
みたいな心情だったのを覚えています。
それは今も変わらず。
東欧は素晴らしいです。物価は安いし、人は優しい。
建物もブルータリズム建築に代表されるような、どこか乾いていてかつ合理的な造りが多く
集合住宅にいたっても、日本のそれとはまた違う印象を受けます。
裕福な国ではないのでインフラが整っていなかったり、道路がガタガタであったり
そこがまた好きだったりするんですが。
ロードバイクでは走れないなと思います。
行った理由は三つです。
- 九連休取れそうだった
- バズルジャ行きたい
- ヨーグルトも食べたい
箇条書きにするとアホっぽいですが、こんなところ。
あと海外は絶対一人・航空券だけとりあえず買う、
おおまかなルートは決めるけど、宿も基本現地。
というのが信条であります。
半月前に飛行取ったけれど、往復で10万もしなかったです。
トラベルコちゃん(国際社会の恩恵)ナムナム。
旅行記のようなものを書きたいところですが、
取り急ぎ、バズルジャについて纏めようかと思った次第です。
時間もできたので。
バズルジャについて
バズルジャ(Buzludzha)
バズルジャ(Buzludzha)は、ブルガリアのバルカン山脈にあるモニュメント。高度1441m地点。
1868年のオスマン帝国とブルガリア反乱軍の戦いの舞台となった場所である。1891年に社会主義勢力が結集したことを記念して建てられた。
旧ソ連時代には、共産党代表や政府首脳の会談などでも使用されており、建物内には会議、レストラン、宿泊施設があった。
現在は廃墟化し、内部は火災により損傷している。
ということなんです。
1989年の東欧革命以降、共産党の解散を機に使われなくなってしまったとされています。
旧ソ連時代には、ソ連とブルガリアの共産党代表同士の会談や政府首脳の会談などでも使用されたみたいで、建物内にはレストラン、会議室なんかもあったようです。
昨今書店でも目にする廃墟本の表紙になっていたりして、
僕も、何かの本でその名前を目にしてずっと気になっていた存在ではありました。
そして先に言っておくと
- 中には入れなかった
- 雪すごい(三月なめてました)
という感じでしたので、本の表紙のような立派な記録ではありませんが
そんなバズルジャのある意味失敗談です。
今は入るのはかなり難しいと思います。
昔は脇の抜け道で入れたみたいですが、それっぽいのははめ殺しにされていたようだったので。
ちなみに、現地のWHITE OUT具合はこのMVのような感じ。
オリエンタルな雰囲気纏ったノクブラかっこいいぜ。
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というわけで、2017年3月。
首都ソフィア→ヴェリコタルノヴォを経て、薔薇の都カザンラクへと到着しました。
ぽつんとした駅舎、ぽつんとしたバスロータリー
そして駅前から日本の団地を思わせる街並み、が広がっていました。
あくまで合理的な居住環境、といった印象。
バス停の時刻表、
待合室の写真、滾る!滾る!
カザンラクは、薔薇の季節はそれこそ大盛り上がりのようですが
3月は、それはもう郊外という言葉の意味を現出させたような、そんな穏やかな時間が流れておりました。
謎のキャラ、
艶めかしい像、
かわいい、
街並み、
ブルガリアは物価安いんですが、そのなかでも乳製品とワインは質が良くて安いです。
あと一切れピザ。これで1レフ(≒60円)くらい。
赤土でゴツイ食器も特徴的、
到着した日は、適当に町ブラしてゆっくり過ごしました。
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3/10
朝だ。バズルジャに行く朝だ!とうとうここまできた!
という日。天気もまあまあ!最高だ!
宿の前の道で意気揚々とタクシーを捕まえ、「バズルジャ」と申し奉り候!
30分くらいの道中で、
ちょっとした目印みたいなもの、
小雨が降るも、まぁこの程度ならと進む。
うんうん、、、、路肩に雪あるの、、、
雪でも降ったのかいね
ん?
んん??
んんんn!!!!!!!!
ドライバー「もう無理、帰ろう」
私「 」
ブルガリア来て一週間弱、雪なんて頭すら過らなかった。
標高1000m越え舐めていた、、、
とはいえ、標高的には奥多摩の都民の森レベルなもんでこれは予測不可能、、、
あああああ
ああああああああああああああああ
往復1時間、3000円のドライブをして終了してしまった。
、、、、とても落ち込んだ、、、、
、、、、、、、、、、、いや奈落の底に沈んでしまった。
私が消える、、、、
Laputaの二曲が気持ちを代弁してくれるも、
ブルガリアレインに打たれながら落ち込んだ後、考えた。
お金のことはともかく、時間だ。
明日は次の街への移動日を想定していたし、仮に行ったところであの雪、、、
終わった、、完全に終わった、、、、、何のために、、、
しかし帰り際すれ違った、除雪車の様なお車に一抹の期待を寄せていた私であった。
、、、決めた。
明日の移動はずらせない、しかし明日もう一度行こう。と。
無理だったら、俺の人生こんなもんとあきらめよう。
バズルジャひとつ見れないで、日本に帰ってクソつまらない仕事を老いるまでやって、
バズルジャに未練を残しながら、生涯を全うしよう。
そんな事をおもった気がする。
大げさではない。そのために来たようなものだから。
そしてまた不安を飲み込むかのように昼からスーパーで乳製品を掻き込み、
ワインを胃へ流し込む。
Cappyも流し込む。
(ポーランドでも見かけた東欧?版のミニッツメイド。濃くてうまい。)
夜のカザンラク中心地。
結構に明るいんだけれども、本当に人通りが少なくてびっくりする。
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3/11
朝だ。バズルジャに行けるかわからないけど朝だ。
昨日より天気はいいものの、山の方角には分厚い雲。
this cloudyである。ummmm,,,,,,,,,,,
荷置き場にあったかわいい紙袋。
滞在延ばしてしまおうかとも思ったが、やめた。
制約がある中でいかに結果を出し楽しむかが、我々小市民に課せられた
「暮らし」というものであろう。
さて、また前の道でタクシーを捕まえる
「バズルジャ」
ドキドキ
除雪されている!!!よし!!!!
昨日引き返した位置!!!HOTEL BUZLUDZHA!!!
本当にラッキーだ!!!
あああああああああああ
この山、頂上のあたりは、すり鉢状になっているんですが
さっきの場所から100mも上がっていないのに、このホワイトアウト具合である。
ぬかどこからとってきたばかりのぬかを使ったような、「ぬか喜び」である。
しかし、目的まではもうそこまで遠くない筈である。
ドライバー「悪いことは言わない、やめとけ」
がっちりしたお兄ちゃん的な黒人ドライバーで英語が通じてラッキー。
私「いやでもこのために来た」
ドライバー「 」
私「 」
ドライバー「ここで待っていてやるよ。本当は帰るとこだけど。」
私「一時間くらい帰ってこなかったら、クラクション鳴らしてて」
今思えば、諸々とてもラッキーだった。
うっすら見える黄色い車が乗ってきたタクシー。
さてここから道なき道を行く。
もう勘で進むしかない。雪の隙間からうっすら覗くアスファルトを頼りに進んだ。
風も強く、ずっと”ゴー”という効果音。
やっとのことで、すこし拓けた場所へ。
あとで調べてみると、距離にして500mもなかったようですが
風と雪でぐちゃぐちゃになりながらだったので、結構時間かかった。
何度も戻ろうと思ったんですが、何故か戻らなかった。
、、、戻れよ!
これに限らず、過去の自分のことはよくわからない。
何か見える、、、、、
現地で観たときの衝撃を鑑み、
事前に画像は必要最低限しか見ていなくて、なのでこの時点でも確信はなく。
しかし、どこか空間や時代から浮いているような、そんな佇まいであり
きっと目指している場所のそれだということは感覚的に捉えることができた。
少し歩をすすめると、、、
吹雪だったもので、実際にはここまで鮮明には見えてはおらず
巨大な何かがうっすら、霧の中に、、、見えるかも程度のものでした。
歩きのスピードも手伝ってか、ゆっくりゆっくり
炙り出されるかのように、白い空間に浮かび上がる雪越しのバズルジャには思わず鳥肌。
とうとう来た、、、、
ようやく辿り着くも、この景色。
人ひとりいない状況と、吹雪の静けさと寒さでちょっとビビッてました。
幸いにも、このエントランス部分は雪も風もしのげました。
先見えない、、、
そこかしこに管理物件であることのマーク。
先へ
コンクリート調というニュアンスでは、ブルータリズム建築ともとれそうですが、機能主義ともいえそうになく、
権威の象徴にするのであればこの形状はいささか疑問だし云々、、、
見れば見るほど不思議な建物。
重なる曲線美が、なんとも
お気に入りの一枚
思い返せば、ぐるぐる二周しただけなんですけど
貴重な時間を過ごしました。
名残惜しかったのですが、タクシーのお兄ちゃんも待たせているし
強くなってきた雪に背中を押され帰路へ。
詳細は省きますが、ここからが大変で、、、
帰りが大変で来た道がわからないので帰り道もわからない、、、
なんとかアスファルトを辿って下る
ここでクラクションが聞こえて命拾いしました。
少し泣いていた。
この写真を最後にデジカメが逝きました。
タクシードライバーの兄ちゃんは「よかったな!」と声高に
握手してくれて、それがうれしかったです。
日本人は面白いとのことだったので、タブレットに貼ってあった
ROUAGEのステッカーを差し上げてしまいました。ミラーに貼っていました。
青い方。
今もまだブルガリアの真ん中で”ROUAGE”のステッカー貼ってあるタクシーが走っているかと思うとたまらん。みぞみぞする。
ブルガリアでよく聴いてきた曲を貼ります。
僕の場合、海外に行って人生変わったとか無いんですけど
やっぱり行けば行ったで、知らない、それこそ検索しても出てこないような景色に出会えるので
このご時世、実際にこの目で見ることが大切なんだなと改めて認識しました。
辿り着くためのテクニック的なこと何も書きませんでしたが
「カザンラクでタクシーを捕まえる」
これで何とかなります。
とにかく声を大にして言いたいのは
三月でも山は冬。下界の天気が良くても気をつけて。
ということくらいでしょうか。
人生で、機会があればもう一度訪れたいところではありますが
この雪バズルジャはいくつかの意味でもう見ることはないんだと思うと少し感慨深い。
ちなみにこの後、僕はバスにてプロヴディフという街に行き、丘を闊歩しました。
そのバスの車内は
後期ROUAGE→初期La'cryma Christi→Laputa「木洩れ陽」でチルアウト。
前者二つはとにかく、東欧のすこし褐色の景色に本当に合う。
Laputaはもう泣きながら聞いていました。
というわけで〆ます。
、、、読み返したけどクソほどつまらんなこれ。
誰かのためになる記事を書きたいもんです。
バズルジャ記でした。