スーパーラジカル

ヴィジュアル系とか、、、、

花粉とともにカムバック

一件も投稿しないまま、夏が終わり、秋が過ぎ、冬のピークも越え、花粉が舞ってしまっている。
不登校ならぬ、不投稿である。
そもそも明確な目的もなく、自己顕示欲や承認欲求に駆られて始めたものでもないので、
そうなるのも宿命のような気もするが、やはりいつもどこか気掛かっていた。

昨年は自分でも驚くほど音楽を聴いて、映画を見て、本を読んだ。
室内外問わず。
それぞれ心には残っているが、それぞれの独立した印象というより、いくつかの作品が日にち事のフォルダに格納されていて、フォルダ単位で作品たちが結びついている。
その日の自分の気持ちなんかが反映されて、いわゆるレビューのような一般的な見解や感想と違った見え方がすることを今も楽しんでいる。

ブログのように一個表題をたてて、ひとつひとつまとめていくことよりも、
頭の中でぐちゃぐちゃにすることが楽しかった時期なんだと思う。
まとめかけた記事もあるけれど、ぐちゃぐちゃのままで良いと思っている。

そして今。

新しい環境に、まぁこんなもんかと思いながらもたまに平和で穏やかな日が訪れる。
ここまで戻ってくるのに一年かかった。といっても一年。
何事に対しても、今後いろいろなものを抱えていく前の静けさか、、、
という気持ちは実は小学生くらいから思っていて、
(※いろいろなものが始まったら始まったで、それなりに対処できるわけだが
どうにも心の怯えが毎度押し寄せるわけである。)
もちろんその穏やかさに身を委ねるのは最幸であるが、気付いたこともあって。

そこそこのアウトプットをしないとまとまらない、
ぐちゃぐちゃ感も楽しいけれど、そのうちのいくつかを拾って
自分の言葉を使う作業を再開せねばと感じた。
自分のことばを使うというのは、簡単なようで難しくて、
頭脳部がこうゆう言葉、と指示しても
言語部がそれに適する言葉を宛がえない。

本を読めば語彙が上がるというのはある程度の年齢までの話であって、
やはりどういった形であれ”使う”必要があるのだとおもう。

久しぶりに書いても、思うように書けない。
しかし、アウトプットの場は必要である。